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朝日新聞 (2015年4月7日夕刊)長編小説「錦」のモデル 初代龍村平藏についての記事が掲載されました。

朝日新聞 (2015年4月7日夕刊) 「宮尾登美子と西陣の龍村平藏」

2015.04.07

しなやかに強く生きる女の人生を描き続け、昨年12月に亡くなった作家、宮尾登美子さん。その最後の長編小説 『錦』の主人公は、意外にも 「男」だった。といってもただの男ではない。
モデルは、女性を飾るきらびやかな帯を、衣服の域を超えて芸術品にまで高めた初代龍村平藏 (1876~1962年)。明治の大阪に生まれ、京都に出て高級織物で知られる現在の龍村美術織物(京都市) を創業した人物だ。
その作品を見た芥川龍之介は 「私は何よりもその芸術的完成の為に、頭を下げざるを得なかった」と絶賛。宮尾さんも 「私もかつて少女時代、思わず人が振り返るような、あの龍村の帯を締めてみたかった」といい、構想から約30年、苦心の末に80代で刊行する。

実は今では西陣織を代表するメーカーだが、その斬新さゆえにコピー商品に悩まされ、平藏は長年 ”西陣”と戦ってきた人でもあった。 『錦』は平藏と宮尾さんの織物への情熱が綾をなして完成した作品なのである。

「本が完成する前にも宮尾先生に呼ばれたことがありました。缶詰め状態でいろいろなご質問にお答えしたことを思い出します」と懐かしむのは、龍村美術織物の顧問、白井進さん。数十年の付き合いで、織物の組織や染料などの材料に至るまでつぶさに理解しようとしていたそうだ。

「もともと先生は織物がお好きでよくご存じでしたが、やはり間違いのないようにとのことだったんでしょう。初代平藏を知る関係者にもほとんどお会いになって取材されていました」

宮尾さんが『錦』を書くきっかけとなったのは、宴席で同社の3代社長、龍村元(もと)氏(初代の息子)と同席し、同じ場にいた当時の中央公論社・嶋中鵬二社長に執筆を強くつすめられたことだった。自身、きもの好きで知られたが、手間をかけて織られる龍村の帯は当時 「帯一本に家一軒」といわれたほどの高級品。あこがれても「容易には手は出せなかった」という。

実は宮尾さん、戦後に満州から引き揚げた後、しゅうとめに教えられて機織りの経験があった。織物の魅力に目覚めたのも、そのころだったろう。なぜ龍村の帯はこれほど美しく、また高価なのか。元氏から「こんな値段でも採算のとれないほど、親父は織物に命をかけた人でしたよ」と打ち明けられ心に執筆の炎がともったのだった。(「『錦』うらばなし」)

以来、約30年を経て宮尾さんは初代平藏をモデルに、独自の「菱村吉藏」を創り上げる。作品のすごみは、主人公のあくなき創作意欲と彼をとりまく女たちの濃密な人間関係だ。
初代平藏は帯だけでなく、法隆寺や正倉院に残る古代裂などの復元、研究で知られる。絵画的で重厚な作品は皇族や博物館からの依頼も多かった。纐纈織(こうけちおり)をはじめ高浪織、推古織など多様な織物を考案。明治時代に6つの専売特許と30の実用新案を取得したが、評判が高まれば高まるほどコピー商品が出回り、本物が売れなくなるのだ。

さらに商品開発にはコストをいとわない職人的気質もあり経営は苦しかった。2件の実用新案を西陣織の組合に寄付、和解をはかったこともあった。京都という町は新しいものを取り入れつつ伝統を進化させていくところがあるが、平藏の才能とそれによる軋轢はまさにその過程を見る気がする。

さて、宮尾作品の真骨頂ともいえるのが、主人公を取り巻く妻、芸妓、秘書という3人の女を、宮尾さんならではの筆致で描いたことだ。これこそ、女の人生を描いたら右に出る者がいない宮尾文学の醍醐味であり、その献身、苦悩に支えられて男の才能が結実するさまはみごと。

平藏の情熱に作家の情熱を重ね、文章を紡いで錦のごとく織り上げた珠玉の一作である。

文・山上直子
写真・志儀駒貴

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