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2025.08.12社長インタビューがスペインのオンラインメディア「Woman」に掲載

SAVOIR FAIRE TATSUMURA / © Sophie Carre © Maya Michiki


弊社社長・龍村 育のインタビュー記事が、スペインで女性に絶大な人気のあるオンラインメディア「Woman」に掲載されました。本インタビューでは龍村美術織物の今後の取り組みや、海外にも目を向けた展望について述べております。ぜひご覧下さい。

「Woman」内のインタビュー掲載ページはこちら
※リンク先はスペイン語による外部サイトです。

なお、以下はリンク先掲載記事の日本語訳となります。

フランスのメゾン「ディオール」と日本の名高い絹織物工房「龍村美術織物」の歴史的関係

創設当初から現在に至るまで、ディオールはこれまで幾度となく日本文化や日本のテキスタイルの匠の技を取り入れてきました。その背景には、数十年にわたる龍村美術織物との密接な関係があり、このつながりは東洋と西洋の境界線を取り払い、歴史的・文化的な視点をファッションにもたらしています。

ディオールと龍村美術織物の関係を語るには、戦後まで遡らなければなりません。クリスチャン・ディオール自身が日本文化に強い関心を抱いていたこと、そして一度も日本を訪れたことがなかったにもかかわらず、龍村美術織物の生地を自身のコレクションに取り入れたいと考えたことがすべての始まりでした。その瞬間から、フランスのクチュール メゾンと日本の織技巧との間に密接な絆が生まれ、80年近く経った数ヶ月前に、この絆が再び明らかになりました。

京都の中心部にある東寺を背景に行われた2025年フォールコレクションのショーで、クリエイティブ ディレクター、マリア・グラツィア・キウリは、日本の「サヴォワールフェール」へオマージュを捧げました。この特別なコレクションのために、龍村美術織物と現代のトレンドに合わせて協業しました。伝統を尊重し、日本の職人独特の美的感覚と感性に敬意を表しながら、新しいものを創造することに成功しました。

1894年創業の龍村美術織物は、奈良の正倉院に収蔵されている古代織物を復元するだけでなく、唯一無二の芸術織物を制作する有名な織物メーカーです。独創、復元、美的感覚の3つを基本精神とし、世界でも有数の織物メーカーへと成長しました。

― 独創、復元、美的感覚は龍村美術織物の三大要素ですが、それらはどのような形で今も受け継がれているのでしょうか?

龍村美術織物の理念は、当社の織物を買っていただき実際に使用してもらうということです。我々の織物を使うと、どれだけ幸せな気持ちになるかを感じてもらいたいのです。美術織物を使うことで嬉しくて幸せな気持ちになってもらう、それが私たちの喜びであり、当社のコアバリューなのです。

― 龍村美術織物の創業から130年以上が経ちますが、技術はどのように進化してきたのでしょうか? 今でも守り続けている技法はありますか?

当初は手作業で、手動の織機を使って布を織りました。しかし、新技術の導入により作業は電子化されました。デザインも紋紙の使用からデジタルに変わりました。世の中のITのスピードよりは遅いですが、デジタル化を遂げてきました。しかし、当社の織物製造に対する考え方は大きく変わっていません。まず、人々が喜ぶデザインを考え、それを開発し続けます。データを使って自動でデザインを作ることもできますが、手仕事も続けています。従って創業当初の考え方は変わっていません。当社の目的は、織物を使ってくださる方々が嬉しい気持ちになってもらうことです。そのためにも、私たちは人々がどんな織物に興味があるのかを考え続け、そこからデザインを考えるのです。

― 1953年、クリスチャン・ディオールが日本でファッションショーを開催したとき、彼が後に使用することになる模様を初代龍村平藏が提案されましたが、どのような経緯で美術織物をファッションショーに使われることになったのですか?

クリスチャン・ディオールは1953年に日本で初めてファッションショーを開催した先進的なヨーロッパのブランドとして知られていますが、その時、当社が数十種類の織物を提案したところ、日本の織物は世界でも広く通用すると考えていたクリスチャン・ディオールは、その中からいくつかを選定され翌年のファッションショーに採用しました。これが日本にとって、当時まだ戦争の影響が残っていた文化と経済を復活させるための世界との経済取引の大きなチャンスとなったのです。クリスチャン・ディオールは日本の文化にとても興味を持たれていて、来日は叶わなかったのですが、日本のテキスタイルを西洋諸国に紹介したいと思っていました。このようにして、当社でも現代的なスタイルに適応させるために取り組み続けたことから、当社のテキスタイルは70年以上にわたってモダンなものであり続けたのです。

― 2025年のフォールコレクションで、マリア・グラツィア・キウリは2種類の模様を選びたかったようですが、選ぶ際にどのような課題に直面されましたか?

当社では、時代の流れへの適応は避けては通れない道であると考えています。今回のショーでは、現在のトレンドに焦点を当て、以前使用されていた色や素材の一部を入れ替え、これまでとは違う、落ち着いたスタイルに仕上げました。この変更が一筋縄ではいかなかったのです。

― 1953年と2025年のデザインや機能性をどのように比較されますか?

1953年のデザインはとても美しいものでした。銀色は光沢度が高く、ダークブルーは鮮やかで、金色の輝きも強かったです。織り方については、最初は手織りで、その後機械織りになりました。2025年のデザインは、コレクションの一部なのでよりファッション性が高く、実際に纏いやすいデザインになっています。銀色は1953年のものと比べてより控えめで、他の色調と混ぜて色合いを作りました。

― ディオールのファッションショーに登場するデザインに、日本文化はどのように反映されていますか?

クリスチャン・ディオールは若い頃から日本文化にとても興味を持っていたので、クラフツマンシップとデザインの両方において日本文化を尊重し、巧みに表現しています。例えば着物。着物は単なる衣服ではなく、それをどのように纏い、どのように着付けるのか、などです。日本文化は、今回のファッションショーの重要なインスピレーション源の一つとなりました。

― 現在における帯の生産の重要性と、それが何を象徴しているのかを教えてください。

手織りの帯は当社が創業当時から手掛けている製品です。あらゆる種類の生地を作り、デザインし、織り、製造していますが、生産に行き詰まったら、新しいデザインを生み出すために、過去のデザインやサンプルに目を向けます。帯は日本の美と品格の象徴です。元々は紐から始まり、様々な装飾が施され、模様や色彩が加えられ、現在に至っています。これが和服の歴史といったところでしょうか。私はときどき和服を着ることがありますが、世界中どこに行っても褒められるのです。そういう点では、帯は和服と同様に、唯一無二の力を持っていると言えるでしょう。

― 龍村美術織物の今後の展望は?
新しいデザインを生み出し、新しい生地を作り、古代の織物を復元し続けることです。一着の衣服や室内装飾用の生地としてだけでなく、最近では芸術作品としての展開も始めています。そうすることで、当社の織物を世界中の人々に提供することができる機会や経験を拡大し、生活をより豊かにすることができるのです。これからも絹織物工房として進化し続けられるよう、努力を重ねていきます。